■ 祈りは知ること
祈りは相手のことを深く知ることです。
わたしは1993EARCで「『私達はきちんと歴史を学んできていないから』と苦笑いをしたまま、学び始めようとしない日本人の若者をたくさん見てきた。」という言葉に出会いました。
EARCでは、多くの笑顔に満ちたアジアの兄弟姉妹に出会うでしょう。しかし、その平安に満ちた笑顔の下にある数々の犠牲と痛みを知らないまま、私達は彼らを出迎えたくはありません。もちろん私たちは悲壮な顔をして出会う必要はありません。キリストにある和解を信じたキリスト者として、希望に満ちて彼らを迎えたいと思います。
しかし知らないで迎えることと、知って迎えることとは大きな違いがあります。
あまりにも歴史に無知な私たちの存在は、彼らにどんな印象を与えるでしょうか?
祈ることとは愛することです。
愛するとは「相手のことをもっと知りたい」と願う思いです。
愛は、無関心ではいられないのです。
私達がアジアの兄弟姉妹のために祈りで備えていく時、私達は聖霊によって、学び始めることを促されるでしょう。無知と無関心を悔い改めることとなるかと思います。
しかしその悔い改めから向きを変えて、歩き始めること。愛し続けること、祈り続けること。
それこそ、アジアの兄弟姉妹との交わりをさらに真実にしていく中で必要なことです。
各地区の学びつづける歩みのために、祈っています。大嶋重徳

