EARC2008では、ネヘミヤ記の聖書講解があります。
みなさんネヘミヤ記を読んだことがありますか?
わたしは学生時代、読んだことはあったものの内容をどこまで理解していたかは結構あやしいものでした。
そこで少しでも助けになればと思い、主事会でネヘミヤ記の聖研テキスト(1章-6章)を作成しました。
各大学の聖研で使うもよし、一人で聖書を読むときに使うのもよし・・。
聖研テキストを欲しい方は、KGKのHPへアクセスください。ダウンロードできます。http://www.kgkjapan.net/
(プログラム委員会 高木創)
EARCまであと3ヶ月とちょっとになりました。準備もいよいよ具体的になってきています。
総務委員会では、現在、当日しおりの原稿作成、参加者の受付、事前しおりの作成、初日の流れの確認等をしています。準備は本当にこまごまとしたものが多いです。しかし、これも何のためにしているかの目的意識によって、とても大きく変わる奉仕だと思っています。
「当日しおりを完成させるため?」「参加者がスムーズにEARCを過ごせるため?」「EARCを成功させるため?」それとも・・・「神の国の建設ため?」
目的は人さまざまだと思いますが、その目的によってできあがるものが大きく違うことを考えさせられています。
DMZ。
この聞きなれない言葉は韓国と北朝鮮との境にある「非武装地帯」を意味する。SSTの4日目、ぼくらはアウティングでこの場所に行った。
北朝鮮からソウルまで52KMの地点まで掘られたという南侵用のトンネルで、第三地下トンネルにこの日、訪れた。
南北分断は米ソ冷戦構造の結果ではあるが、日本による韓国支配がもたらしたものだと言うことも出来る。晴れ渡ったこの日、DMZの向こうに見える北朝鮮の国土を見ながら、ある主事が「ぼくのおじさんは向こうにいる。」と教えてくれた。「韓国人はみんな誰もが痛みのある歴史を持っている。」と分かち合ってくれた。この日なした幾つかの彼との対話は、私に神の国の希望を抱かせてくれた。
私達は、神の国の建設に希望を抱き、あきらめてはならない。
キリストが完成されようとしておられる神の国を待ち望み、「マラナタ」と歌おう。
その日、すべての完成がなされるために、完成に向かう対話を続けていこう。
それがこの地上で神の国の建設を委ねられているもの達の使命だ。
主事の大嶋です。4/12から4/19まで、東アジアのIFES各ムーブメントのシニアスタッフトレーニングキャンプ@韓国(通称SST)に参加してきました。
インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、フィリピン、香港、マカオ、中国、韓国、日本、モンゴル11カ国からの参加。
スモールグループも6人構成。分かち合いも英語、メッセージも英語、祈りも英語・・・。突然、「シゲ、祈って」と振られる緊張感にドギマギしながら、8日間を過ごしました。
コツは初日にしっかり自分から話して、英語力をアピールすること。分かった顔で「あはーん」とか言わない。「ああ、シゲに分かるように話そう」という空気感をグループの中に作ってもらうことです。そうは言っても、二回ほど心の折れそうな時がありましたが、一緒に行った矢島主事との交わりで回復しました。
交わりの中で感じたことは、「ああ、どこでも同じことをやっている。間違っている訳じゃないんだ」ということ、「みんな楽しみながら、時間を過ごすことを知っているなあ」ということです。
そしてみんな口を揃えて「EARCのために祈ってるよ。もっと人数を沢山送りたかったのに!!」という嬉しい言葉でした。
祈られて準備できるEARC。いよいよあと3ヶ月ちょっとだ。
プログラム委員の吉澤慎也です。
先日、看護系大学で教えている知人から、新型インフルエンザについての話を聞きました。
内閣官房による「水際対策」なるものも、初めて知りました。
そんなことは全然知らなかったので、これは、えらいこっちゃ、と思いました。
もしこれがアジアで流行ったら、EARCの開催にも影響を来たすだろうな、と。
そして、マレーシアでの開催を予定していながら、SARSのために中止となった数年前のEARCを思い出しました。
その時は、開催国のマレーシアFESを始め、多くの人が痛みを覚えたことを聞いています。
これは祈らねばならない、と。
でも、EARCがあろうとなかろうと、日本開催であろうとなかろうと、
このインフルエンザが流行らないよう、祈らなければならないことなんだと思いました。
東北地区の活動予定をご紹介します。
一発目は5月10日に開かれる「Let’s KGK」です。KGK運動の学びとともに正田先生より「アジアの中の学生伝道」というテーマで学びます。二発目は6,7月に行なわれる「前期日帰り学び会」です。東北は広~いので、南と北に分かれて学び会を行なっているのですが、今年はこの日帰り学び会の時間を使ってEARCに関連した学びをし、分かち合いの時を持とうと願っております。
こんな感じで東北地区はやって行きます。それぞれの集まりが終わったら、感謝の報告などもしていきたいと思っています。お楽しみに。(^o^)/
最近、ダニエル書を読んでいる。
ダニエルが見た幻に関する記事(7章以降)についてなので、解釈や受けとめ方が難しい。そうした中でも印象的な言葉があった。
『私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心に留めていた。』(7:28)
この場面は、ダニエルが自分の見た幻の意味を解き明かされた時の様子である。『ひどくおびえ』とあるように、幻の意味を知った時、彼は恐れを抱いたのであった。自分が見た幻は、将来の世界情勢を予知したもの、またそれ以上の神の計画であると、自分なりに理解し、ある種の末恐ろしい感覚を覚えたのであろう。
EARCの準備を通し、神の国を建設するとは何か?和解とは何か?といったことが問われている。それには、過去に起きた出来事から目を背けずに、何が真実だったのかを探求し、心に刻み、想起し続ける営みが必要である。
さらに思うのは、私たちの視座が「神の国の完成」という希望へとも向けられることだ。もちろん、過去を見つめるとは、そこに将来の回復という希望を見ることでもあり、両者を切り離して考えることは無理であろう。ただ、過去の圧倒的な事実が私たちの前に開かれるとき、将来への期待は押し潰されてしまうかもしれない。また、現在を見て、「何ら変わらないじゃないか、むしろ悪化しているのではないか」という諦めを覚えそうになると、さらに憂鬱になるかもしれない。そんなに世界は、アジアは、日本は、私は変わるのだろうかと。神の国の建設といっても、その理想郷が絵空事のように映ってしまうのかもしれない。
ダニエルが幻で見たのは、どこかふわふわとした理想郷ではなかった。獣、角、きば、爪という言葉が連想させるように、激しい戦いやさばきがあり、その後にもたらされる永遠の国(7:27)であった。それは自分の理解を遥かに超えた未来が待っていることであった。
『しかし、私はこのことを心に留めていた。』(7:28)
ダニエルは解き明かされた幻の内容に怯えつつも、冷静に受けとめ直していた。それは幻の最後で、『永遠の国』の希望が語られていたからだと私は思う。
EARCにおけるアジアの兄弟姉妹との交わりを通し、私たちは神の国の建設の「今」を知る。「永遠の国」として完成していく希望があるからこそ、私たちはその時の「今」を正面から受けとめ、再び歩みだせる強さがあるのだ。
交通局担当主事 田中秀亮
こんばんは。arrow@Web管理人 です。
広報委員会では、キャンプでの当日しおりの役割を果たす、
小冊子の作成に向けて動いております。
このEARC BOOKのために新たな奉仕者も与えられました。(感謝!)
準備委員はEARC BOOKと呼んでいるその冊子、
作成している準備委員も、どんなものになるか、わくわくしています。
一点、注意事項、それは…
EARC BOOKは英語です!
日本語版を作る予定はありません。
というわけで参加される皆様、(他のところでも言われてますが)英語の勉強をがんばりましょう!
私も他人事ではないので、がんばります!
若干予定されていた日にちとずれてしまいましたがこんばんは。名簿管理のそばたです。
すでに申込みが済んでいる方へお知らせです。
先日、事前しおりVol.2を送信しました。
申込み手続きが完了した方全員に送っているはずなので、もし届いていないということがありましたら、問い合わせアドレスまでご連絡ください。
逆にVol.2が先に来て、Vol.1がまだ来ていないということでもご一報ください。
日々参加者が与えられていて感謝です。
今後、キャンセル待ちなどが発生するとどんどん切羽詰まってくるので、申込み後はぜひぜひ3週間以内の振り込みをお願いいたします。
事務的な連絡ばかりですみませんが、よろしくお願いします。
こんにちは。プログラム委員の東 沙織です。
もう何人もプログラム委員が投稿しているので大体どんなプログラムがあるかをみなさんおわかりでしょうか。
現在、プログラム委員会では、それぞれのプログラムを詳細をつめて話し合っています。
今中心に上がっているトピックは、EARC当日のデボーションテキストについて。
実際のテキストは学生の皆さんに作ってもらうことになるので、その方向付けをしている最中。
メンバーが今までの信仰生活の中で培われてきたものを出し合って、話し合いを持ちます。
一つのテーマに関しても、それぞれ異なった視点があるのが、超教派の豊かさだなーと実感しています。
神様からの視点をいただける様にお祈りください。
思い返してみると、私も全協をさせて頂いてたときに、「EARCの日本開催」が議題に上ったことがありました。
その時は持ち越したけれども、卒業した今、このように関わりを持たせていただいていることは感謝。
この働きが「主のからだを建てあげる働きとなること」を願っています。