大嶋です。
EARCが残り二ヶ月と迫ってきました。
全国各地区でEARCのテーマをより深く理解しようと、聖研テキストが完成しました!!!アテンションプリーズ号外にも載ってますが、ここでみなさんが学内、ブロックでも早速試して頂けるように、UPしておきます。どうぞ、全国でX-tensionのうねりを!!
X-tension聖研テキスト ネヘミヤ記1章
はじめにa. あなたはどんな時に“tension”(キリストに従う際の緊張)を覚えますか?
b. “Extend”(神の国の建設)とはあなたにとってどのようなことですか?
質問1. ユダヤ人とエルサレムはどのような状況でしたか。
2. 「数日の間、喪に服し、断食して」(4節)とありますが、ネヘミヤのうちにどんな悲しみや葛藤があったと思いますか。
3. ネヘミヤが告白する「私」や「私の父の家」の罪とは何だと思いますか?ネヘミヤは罪をどのように理解していましたか。
4. ネヘミヤが覚えた“tension”とはどのようなものでしたか。あなたはそのような“tension”を覚えることがありますか。
5. ネヘミヤという名前は「ヤハウエが慰めてくださった」という意味です。ネヘミヤは祈りの中で、神のどんな慰めを期待していたでしょうか。
6. この章における“Extend”(神の国の建設)とは何でしょうか。それを踏まえて、私たちの“Extend”とは何でしょうか。
X-tension-Let us start rebuilding-。これがEARC2008のテーマ。 私達が真剣に信仰生活を送るとき、そこに緊張(tension)が生まれる。キリスト者として生きることは、平穏無事に毎日を過ごせるようになることではない。この地上でキリスト者として生きることは、なにかしら(X)のtensionを伴っている。EARC2日目のコンセプトは、罪の誘惑における緊張だ。「みんなやってるじゃん。」「えー、そんなの普通でしょ。」。私達を取り巻く「ふつう」という言葉が、キリスト者を極度の緊張に陥れることがある。あるいはやめられない性的罪の悪習慣と、真剣に戦うことは言うまでも無く緊張が伴う。「永遠に勝利なんて出来ないんじゃないかな」という諦めが、心と生活全体を占めてくるからだ。また3日目のコンセプトは、歴史における緊張。EARCでは、日本がかつて侵略したアジア諸国の兄弟姉妹をこの国に迎える。現在もアジア諸国から聞こえてくる痛みの事実と、日本における反○○感情から生まれる非歴史的発言や、自分達の無知、無関心であった現状を見つめると私達は途方にくれる。「もう無理なのかな。」 4日目はキャンパスでの緊張・・・。聖研の行く途中に「今からどこいくの?」と声をかけられ、「うんちょっと・・・」と答える信仰の不確かさ。遣わされた場所で勇気を振り絞って証をしても「いや、そういうのはちょっと」と断られたときの切なさ。学内に一人きりのクリスチャンである自分が、未信者に取り囲まれる学内で福音を宣べ伝える緊張は激しいものだ。しかし、何故にわたし達はこの緊張を生きるのか?それこそ4日目のコンセプト、神の国だ。終末に必ず完成する約束された神の国は、わたし達キリスト者がこの地上で委託された神からの使命だ。X-tensionに生きるものたちの歩みは、神の国のExtensionエクステンション(拡張)へと拡大する。「さあ、再建に取り掛かろう」とイスラエルの民は声をあげた。ネヘミヤたちの目の前に広がっていた光景は、ぼろぼろに崩れた城壁の姿、誘惑に敗北してしまった神の民たち、国と国の間の敵意、再建に取り掛かる希望のなさであった。しかしネヘミヤは、彼の国の城壁が再建されることを諦めなかった。どれだけ多くの誘惑があろうとも、どれだけ国と国との間に緊張が走ろうとも、神の派遣を受け止めた人数が僅かであったとしても、この城壁の再建は、神が完成へと導かれる。そう彼は信じ続け、祈り続けた。X-tensionのXは、ギリシャ語のキリスト(クリストゥス)の頭文字のX。イエスキリストがこの地上で経験されたtension。このtensionを背負って生きる。キリストを信じ、従うことからのみ生まれてくるtension。このtensionを背負って生きることこそ、キリスト者のmission、使命がある。ここにわたし達の祈りを向けよう。
DMZ。
この聞きなれない言葉は韓国と北朝鮮との境にある「非武装地帯」を意味する。SSTの4日目、ぼくらはアウティングでこの場所に行った。
北朝鮮からソウルまで52KMの地点まで掘られたという南侵用のトンネルで、第三地下トンネルにこの日、訪れた。
南北分断は米ソ冷戦構造の結果ではあるが、日本による韓国支配がもたらしたものだと言うことも出来る。晴れ渡ったこの日、DMZの向こうに見える北朝鮮の国土を見ながら、ある主事が「ぼくのおじさんは向こうにいる。」と教えてくれた。「韓国人はみんな誰もが痛みのある歴史を持っている。」と分かち合ってくれた。この日なした幾つかの彼との対話は、私に神の国の希望を抱かせてくれた。
私達は、神の国の建設に希望を抱き、あきらめてはならない。
キリストが完成されようとしておられる神の国を待ち望み、「マラナタ」と歌おう。
その日、すべての完成がなされるために、完成に向かう対話を続けていこう。
それがこの地上で神の国の建設を委ねられているもの達の使命だ。
主事の大嶋です。4/12から4/19まで、東アジアのIFES各ムーブメントのシニアスタッフトレーニングキャンプ@韓国(通称SST)に参加してきました。
インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、フィリピン、香港、マカオ、中国、韓国、日本、モンゴル11カ国からの参加。
スモールグループも6人構成。分かち合いも英語、メッセージも英語、祈りも英語・・・。突然、「シゲ、祈って」と振られる緊張感にドギマギしながら、8日間を過ごしました。
コツは初日にしっかり自分から話して、英語力をアピールすること。分かった顔で「あはーん」とか言わない。「ああ、シゲに分かるように話そう」という空気感をグループの中に作ってもらうことです。そうは言っても、二回ほど心の折れそうな時がありましたが、一緒に行った矢島主事との交わりで回復しました。
交わりの中で感じたことは、「ああ、どこでも同じことをやっている。間違っている訳じゃないんだ」ということ、「みんな楽しみながら、時間を過ごすことを知っているなあ」ということです。
そしてみんな口を揃えて「EARCのために祈ってるよ。もっと人数を沢山送りたかったのに!!」という嬉しい言葉でした。
祈られて準備できるEARC。いよいよあと3ヶ月ちょっとだ。
1993年EARCのとき、私は大学一年生になったばかりだった。
インターナショナルナイトでの謝罪が、アジアの兄弟姉妹にどんな痛みをもたらすか、想像力を働かせることが出来なかった。
想像力、それは相手への「愛」が生み出す力だ。
想像力を育てるもの、相手の生きてきた背景を深く知り続けようとする情熱。
93EARCの謝罪は、 当時の学生の私達が必死で、真剣であったと共に、想像力に欠けていた。
KGKは93EARCをもう一度繰り返してはならない。
わたしたちの想像力を育てられるほど、迎える相手の国の痛みを私達は知っているだろうか?
主事の大嶋です。
私は1993EARC台湾に学生時代に参加しました。
97NCは4年生としての参加でした。
いずれもKGKが悔い改めと、信仰の告白に生きようとした 歩みの一つであったように思います。
しかし当時の私の意識には、「へー、そういうことも大切なんだなあ・・・」(4年の時は少し違ったようにも思いますが)というぐらいの意識でしかありませんでした。いわゆる無関心で、信仰に決定的な関わりのあることだと思っていないキリスト者の一人だったのです。
しかしEARCを経験し、その後KGKの仲間たちと共に悔い改め、学び、愛し、仕えていく歴史を共にしながら、私自身が変えられ、告白に生きる信仰の歩みに参与させて頂けるようになったと思います。
現在も各地区で為されている学びは継続されています。
地区ごとでも、多くの学びの積み上げがなされてきました。
しかしKGKは学生達が入学し卒業していく働きであることを考えると、同時に歴史を知らない世代が次々にKGKに参加してきていることも事実です。
このテーマの学びに入る時に、最初に起こる反応の一つは反発もしくは嫌悪。
一番多いのは自分が無知であることへの失望、そしてそこから来る苦手意識です。
「大切なことはわかるんだけども、私はちょっと苦手。」
しかし、私達はこのテーマを学び続けることを諦めないでいたいのです。
今、このテーマの学びをし、祈りをなす4年生もまた1年生の時はほとんど問題意識のなかった学生の一人であった筈です。
主事である私もまたその一人でした。
「このことが信仰の事柄なのだということを初めて聞いた」という学生と共に。
「なぜこの問題にクリスチャンが取り組まなければならないか理解できない」という学生と共に。
右傾化していくことに疑問を持たない世代が増えていく時代の中で。
キリスト者が、この時代に「イエスキリストを主」とすることの告白の意味をひたすら丁寧に説明し、分かち合い、祈りあっていきたいと思います。
この「イエスを主」とする交わりを「再建」していく歩みこそ、キリストに与えられたキリスト者の使命(X-tension)だからです。
諦めず、地道に、誠実に。
神の国はそのような建設のなされ方をするのではないかと思っています。
2008EARCに与えられたテーマは、「X-tension Let us start rebuilding」である。
キリスト者として生かされていくとは、平穏無事で快適な生活が待っている訳ではない。
むしろ神に従えば従うほどそこには苦難と緊張を強いられることがむしろ多い。
神に従うときに、私達には緊張感が生まれる。
誘惑と戦いつづける緊張。
過去の罪深い歴史の只中で、キリスト者が和解の使者として立ち続けることを選んでいく緊張。
未信者に取り囲まれる学内で福音を宣べ伝える緊張。
再びキリストが来られるまで神の国の建設し続けることの緊張。
そしてこれらの緊張感こそ、この時代、神に従って歩み続けるキリスト者の証しだ。
キリストの使命に生きる者は、必ず緊張状態に置かされる。
X-tensionとは、キリストにある(ギリシャ語でキリストの頭文字はX)緊張であり、それはこの地上に遣わされたキリスト者学生の派遣意識をさす。
2008年のEARCの聖書講解はネヘミヤ記からなされる。
ネヘミヤ記にあるのは、城壁の再建である。
悔い改めの再建である。
礼拝の再建である。
神を信じる共同体の再建である。
祈りの再建であり、神の言葉に立つ福音主義信仰の再建である。
私達はこの御言葉の記されていることが、私たちの目の前で起こることを信じることが出来るだろうか?あまりにも困難で、あまりにも非現実に映ってしまうだろうか。
確かに再建への歩みは、長く険しい。
この「緊張状態」に置かれたキリスト者に、必要なのは、聖書の言葉への信頼だ。
必ず神の言葉は実現する。
私達は再建された御言葉の基盤に立って、今、日本にアジアの兄弟姉妹を迎えたいと思う。
関東地区主事 大嶋重徳
祈りは相手のことを深く知ることです。
わたしは1993EARCで「『私達はきちんと歴史を学んできていないから』と苦笑いをしたまま、学び始めようとしない日本人の若者をたくさん見てきた。」という言葉に出会いました。
EARCでは、多くの笑顔に満ちたアジアの兄弟姉妹に出会うでしょう。しかし、その平安に満ちた笑顔の下にある数々の犠牲と痛みを知らないまま、私達は彼らを出迎えたくはありません。もちろん私たちは悲壮な顔をして出会う必要はありません。キリストにある和解を信じたキリスト者として、希望に満ちて彼らを迎えたいと思います。
しかし知らないで迎えることと、知って迎えることとは大きな違いがあります。
あまりにも歴史に無知な私たちの存在は、彼らにどんな印象を与えるでしょうか?
祈ることとは愛することです。
愛するとは「相手のことをもっと知りたい」と願う思いです。
愛は、無関心ではいられないのです。
私達がアジアの兄弟姉妹のために祈りで備えていく時、私達は聖霊によって、学び始めることを促されるでしょう。無知と無関心を悔い改めることとなるかと思います。
しかしその悔い改めから向きを変えて、歩き始めること。愛し続けること、祈り続けること。
それこそ、アジアの兄弟姉妹との交わりをさらに真実にしていく中で必要なことです。
各地区の学びつづける歩みのために、祈っています。大嶋重徳
主事の大嶋です。
EARCはIFES主催の大会です。ホストのKGKでは、今回初めて、学生会、卒業生会、主事会の三者準備というかたちで準備を進めています。(NCとは違って、ビザ発給の際は法人が受け入れ団体となることなどが必要なんですね。)
KGKにとって初めてのやり方なので、戸惑いがあるかなあとも思います。
「準備している様子が伝わらない・・・」「学生主体じゃないの?」「学生は参加するだけでいいの?」(※準備委員に学生もいますよ)
しかし、今一度「準備とは何か?」ということを考えてみたいと思うのです。
「合宿の準備」ということで思い浮かべるのは、プログラムを考えたり、申し込み用紙を作ったり、事前しおりを発送したり、奏楽をしたり・・・。しかし、今回、「祈りで備える」ことを深く経験したいと思うのです。
時折、「祈ることしか出来ませんが・・・」という言葉を聞きます。
その言葉は祈りを小さく見過ぎている言葉じゃないかなと思うのです。わたしたちは祈りに応えてくださる主の業を小さく見てはいないだろうか。私達は「何にも勝って、祈ることが出来る!」のです。
EARCは東アジア大の祈祷会です。
私達は祈り続けてきたあのアジアの兄弟姉妹と、顔と顔をあわせ、膝と膝とをあわせて祈りあうために、EARCに参加するのです。
そして彼らと出会うとき、今まで白黒の文字であった祈祷課題の言葉が、「祈っていたあのムーブメントの!!!」と、祈りが鮮やかに色づく瞬間を迎えるのです。そして、これから先は「あの○○さんのいるあの大学の・・・」と祈りがカラーに変えられていく・・・。
参加される皆さん。
EARCが始まったらアジア各ムーブメントの参加者に「私の地区のみんなで祈っていたんだけど・・・。あの祈祷課題はどうなった?」と聞いてほしいのです。
その備えられた祈りの積み重ねを伝える時、各地区からの参加は限られていたとしても、地区で祈られた祈りの一つ一つが、東アジア各国に届けられます。
あなたの地区で祈ってきた祈りこそ、キリスト者の最大のホスピタリティーです。
そしてさらに大会期間中、「一緒に祈ろう」と声をかけてください。
つたない英語であっても、恐れてはいけません。
今度はその祈りがあなたの地区で、さらに幾倍にも広げられていくのですから。