■ 訪韓
最近、韓国へ行ってきた。
竹島・独島問題で両国間が揺れている最中に訪韓できたことは、
非常に意義深いことだったと思っている。
詳細は省くけど。
両国間に深く横たわるtensionに、
私たち日本のクリスチャンはどのように向き合うべきだろうかと、
よく考える。
この時にEARCが日本で開催されるということも、
非常に意義深いこと、と言えるのではないだろうか。
最近、韓国へ行ってきた。
竹島・独島問題で両国間が揺れている最中に訪韓できたことは、
非常に意義深いことだったと思っている。
詳細は省くけど。
両国間に深く横たわるtensionに、
私たち日本のクリスチャンはどのように向き合うべきだろうかと、
よく考える。
この時にEARCが日本で開催されるということも、
非常に意義深いこと、と言えるのではないだろうか。
広報委員会の細川開です。
最近思うのが、海外のクリスチャンは自分が集う教会のこととか教会をなんと言うのか。あと会話の時どういう表現を使えばいいのかということ。
日本では
「オレの(うちの)教会では~」とか
「○○先生の教会に行っている」
「あー、◆▽先生の教会ね」
なんて表現を使われてますよね。まあ普通に使われている表現。
知らんけどきっと昔からこういう言い方なんだろうなと勝手に思っています。
でもこれって結構危うい表現だと思うんですよ。
牧師の子どもとか、牧師が「うちの(わたしの)教会では~」なんて表現してたら、まあ大体が”この教会はわたしのもの“的な意味があるでしょうね。
英語で言ったら”Mine”の意味があるでしょうか(実際教会に住んでいる牧師とかもいるけど、そういう意味ではなく)。
教会は人間のものではないし、もちろん牧師のものでもない。
「キリストのもの」であって、キリストが頭ですからね(まあそのはずなんだけど実際はどうなんだか。牧師の意識も教会に集う人の意識も)。
そんな教会についての会話を英語でもしするときがあって、「my churchナンチャラ~」とか言って大丈夫なんだろうか。KGK、日本のクリスチャン変だよ、なんて思われたりして。
「資料配りま〜す。」の声があちらこちらで飛び交う。
配布資料が手元にやってくる。
各委員会ごとに内容も雰囲気もそれぞれ。
でもどの委員会の資料もとても濃い。
配られた紙の後ろには信じられないくらいの祈りと奉仕が積み上がっているから。
資料に目を通しながらそれぞれ報告し合う。
聞いている内にだんだん頭の中がごじゃごじゃになっていく。
資料を読み直したりして、頭を整理。
疲れてきたころに、お菓子が回される。
お土産だそうだ。とってもおいしい。
報告が終ったら、皆で考えるお題が与えられて、
それについて分かち合う。
みんな似たような事考えてるんだなと思った。
そして最後に祈祷課題が挙げられて、数人で祈り合って、おしまい。
……だいたいこんな感じで国内準備委員会は行なわれています。
みなさん、こんにちは。広報委員会&プログラム委員会でメディア関係を担当しているミズエミライです。(07年多摩美術大学・大学院修了)![]()
今更ながら、EARC2008のロゴについて解説したいと思います。このロゴは、大会テーマ「Xーtension」の文字を使って、テーマ聖句の「再建」をイメージできるようデザインしました。ロゴの分厚いXが欠けていて完成していないのは、再建中という意味があるからなのです。
「X」という文字は、僕にとっては、とても料理しやすい文字の一つです。形として上下左右が対称になっているから、図形として色々と加工しやすいからです。まず、「再建」のイメージをロゴに盛り込むとき、「X」を建物にしようと思いました。建設中の様子をロゴにデザインしたら面白いだろうと考えたからです。
また、建設中という時間の流れのあるものをロゴにすることによって、アニメーションなどの動きのある映像への展開もしやすいと考えました。 ![]()
ニュースレターの1号と2号では、ロゴの色が違い、デザインも若干違います。まもなく発送される3号でもロゴは変化します。つまり、このロゴは成長しているのです。建設中なのです!
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ちなみに、ロゴの中に小さくクレーンが二つ見えますが、これは単に「建設中」を説明するためだけにデザインの中に組み込まれたのではありません。このクレーンは、教会建築に生涯を捧げたアントニオ・ガウディ作の「サクラダファミリア教会」をイメージしています。![]()
ガウディ作のサクラダファミリア教会は、着工から120年経った今も、教会の周りにクレーンが取り巻き、建設は毎日続いています。一般的にサクラダファミリアは、「終わらない芸術」として有名ですが、僕はサクラダファミリアから「教会の成長は終わらない」というメッセージも感じています。
先月バルセロナに行って、サクラダファミリアをこの目で観たのですが、ガウディの教会建築への熱意をビリビリと感じました。彼は熱心なクリスチャンで、教会建築に自分の持っている能力全てを注ぎ込んでいました。サクラダファミリアのような大きな聖堂だけではなく、グエル教会という庶民のための教会建設にも熱心に取り組んでいました。
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彼の人生はまさに主に献身した人生なのだと思います。僕も芸術の世界に身を置くものとして、主から与えられた「絵を描く」という賜物を捧げる生き方をしていきたいです。今夏のEARCで、その賜物を捧げる機会が与えられている事は、僕にとって大きな喜びです。
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みなさんも、主からそれぞれに与えられた賜物を持ち寄って、一緒にEARCを建設(準備)していきましょう!

arrow@広報 です。
クリスマスおめでとうごさいます!
2000年ほど前の小さな村の出来事が、こうして世界の至る所で祝われていることを思うと、不思議な感じがしてきます。
こうして今の時期にクリスマスを祝っている兄弟姉妹たちが世界の色んな所にいるというのはたぶん事実。
そんなあたりまえで単純な命題ですが、私の狭い視野ではとらえきれない部分があって、
きっとそれがこの不思議な感じの源なのでしょう。
EARCの準備に携わるようになってから、世界に向けて、ほんの少しだけだけれど視野が広がったような気がします。
来年のEARCで、アジアの兄弟姉妹が集まる時、さらに視野が広げられるのでしょうか。
期待しています。
Merry Christmas!(^^)/
総主事の安藤です。
今年はいつも以上に、人となられた神の子の、自尊心を捨てた姿に感動しています。
それぞれの人間には、自分が生きてきた文化の中で、人間理解と評価判定のある種の価値観があるわけで、それはもー、心身にしみついているものだから、これ以外に別の価値観がこの世にあるなんて私たちは思いつきません。価値観の違いでけんかすることはあまりないかもしれないけど、心の中で「あ、こいつダメ」と見捨てることはたくさんありますよね。違いがあるのは問題ないんだけど、それをすぐに優劣だと思い込んでしまう私たちが、ほんとに罪人だと思います。
人々の表も裏も、馬鹿にしたりされたりする繰り返しであるということを神は知っているのに、キリストはそんな私たちの変革を決意し、私たちと生活し、死んでくださるために地上に来られた。私たちでさえ、がっかりしたりうんざりしたりするこの世界を、彼は廃棄せず、自分自身によってこの世を回復する意思と使命を持って、私たちと同じ弱さまで落ちてきてくださった。
自分とまったく異なるものたちの中に入るために、完全に身をかがめたキリストを思うときに、私たちは、他の人、他の国の人々の中に身をかがめて入っていきたいと思わされます。
EARCは、 キリスト、という共有しているお方によって、文化の違いを優劣としてではなく、主が与えられた多様性として認め合い、楽しむための絶好の機会です。過去の戦争についても、戦後処理についても、現在の国際経済についても、和解し協力するための唯一の道は、彼らと、親切と寛容を交換することです。
クリスマスのこのとき、みなさんお忙しいでしょうが、主の前で静まって落ち着いて、教会に来た新しい方々、未知なる方々に対して、笑顔と親切な言葉をもって仕えてください。今、あなたの守備範囲にある自分と異なる人に優しくした分だけ、あなたのEARCは豊かになります。
総主事の安藤です。 その2
中国の家の教会が爆発的に祝福されていることを聞いていたとき、IFESの中国宣教を考える会議で「家の教会はお互いに疑心暗鬼になって交わりを持たないから、神学が異端的になる傾向がある」という話を聞いた。祝福されている国はとことん真っ直ぐ祝福されているんだろうと安易に思っていた私は、信者増加の陰にそんな危険性があることを知って、宣教は一筋縄にはいかないものなんだなと思った。
アフリカのある国では、教会に何千、何万と人が集まるのだという話を聞いて、「うらやましいなー、すごいねー」と言ったら、「いや、でも教会に来る多くの人たちは、ダンスを踊ったり歌を歌ったりしたいだけで、神に従がう気はないんだよ」という暗い返事が返ってきた。教会に来る人たちは、どこの国でも比較的マイナーな人たちなのだろうと漠然と思っていた私は、ダンスと歌のために教会に人が溢れるということを知って、教会形成には国によっていろんな誘惑があるものなんだなと思った。
モンゴルではたくさんの人が次々に信仰にはいるのだという話を聞いて、「それだったらあっという間にみんなクリスチャンになるんじゃないの」と妬み半分に感じていたとき、「モンゴル人は受け入れるのも早いけど、捨てるのも早い。教会を遊牧民のように移動してしまうからなかなか訓練されない」と語る宣教師の話を聞いた。確かに、できちゃった婚が普通のモンゴルでは、若者に聖書の結婚観を理解してもらうことなんかも、日本以上に難しいだろうな。そう思ってモンゴルのために祈り始めた。
うわさ話だけではなく、直接他国に住むクリスチャンと話してみると、その国にもやはり宣教の課題があることが分かる。その深刻さと、日本との共通点に気付くほどに、「日本宣教は難しい」というのは、私たちの(傲慢に近い)勘違いなんだな、と気付かされる。
宣教は、どこの国でも戦いなのだ。伝道しやすい国、成長しやすい国というのは幻想で、どこにおいても、本当にキリストに従おうとする人はみな、迫害を受ける。それが標準なのだと思う。
そして、どこの国でも、勝利者はキリストであり、信仰によって彼につく者もまた勝利者なのだ。
EARCでクリスチャン同士で分かち合う内容が、少しでもディープなものになりますように。それによって、私たちは、お互いに同じ戦いの同志であることを確認できるに違いない。
「姉ちゃん絶対いらいらしてるやろ?」
キャンパスの階段を下る三人の人影。あたりはすっかり暗くなって小雨が降っている。卒論ですっかり遅くなった研究室からの帰り道、一人は足を引きずり、手摺りに持たれかかるように一段ずつ下っている。
「もー、めっちゃいらいらするわ」お姉ちゃんの声。きっと右足を痛めたのだろう。左足と、手摺りに持たれた右手で体を支えながら、リハビリのように一段ずつゆっくり下りていく。「こればっかりはしゃあーないわな」優しそうなお父さんの声。その手にはお姉ちゃんの荷物が握られていた。ただこれだけの会話に心を打たれた。
普段なら三人とも何もない階段。時間がかかることに、自分だってもどかしがっているだろう妹が、一番それを感じているのは姉であることをしっかりと理解していた。父もまた、二人の姿を見守りながら一番ふさわしい距離を保っていた。
私は今日、キリストの光を周りに届けていただろうか。霊の結ぶ実を周りの友と結んでいただろうか。見ず知らずの、一期一会の心暖まる光景を見ながら、帰る道すがらそんなことを考えていた。
EARCに向けて着飾るようなことはしたくない。浮き足立った、お祭り騒ぎのようなEARCで終わらせたくない。今の僕の現状を、あるがままの日本を、彼らに見てほしいと思う。だからこそ、問われるべきは当日に何ができたかではなく、当日までをどう過ごしたかだと、そう思っている。
(関東地区全国協議委員:高木聡)
とういうことで、バトンタッチしました。
交通隊のtoshiといいます。
任期は2日間。
まあ、タイトルは特に意味がありません。
交通に関する話題でも書こうかと思ったんですが、
他の隊員たちならいざしらず、僕はいわゆるアレではないので、書けません。
ということで、何故EARCの交通隊に?みたいな感じで行きます。
まず、正直言うと、僕はあまり世界に視野を向けていません。
世界に、というと少し違いますかね、海外に、ということです。
もちろんそれが良いことだと思うわけでもなく、
しかしこれと言って悪いとも思うわけではありません。
僕の性格上、海外に、と言えば日本のことが忘れられ、
日本に、と言えば海外のことが忘れ去られてしまうのです。
だから僕は、目の前に与えられる仕えるべきところ、
開かれる道に進んでいきたいと願っているのです。
EARCの交通隊をやらせてもらうことになったのもそういう理由。
祈りの中で導かれているからこそ、です。
もちろん、この特別な機会に神様が用意しておられる“何か”を楽しみにもしています。
いつも思うのですが、チームとして奉仕させていただくことはとても感謝なことです。
すでにいただいている祝福のうちのひとつですね。
交通隊は個性の豊かな人たちが集まっています。
時刻表一つで全国からの交通経路をささっと作ってしまいます。
ほんの2,3時間で。
まだ参加の申し込みは始まっていませんが、交通のことも着々と進んでいます。
直前まで具体的になってこない部分が多いのですが、
相応しく十分な備えができるようにお祈りくだされば。
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